あの日,あの時・・・3.11に寄す

あっという間の6年だった。

夜7時に勤務解除となり,下の子を迎えに保育所へ向かう道々は深い闇の中に沈み,ガスの臭いが充満していた。

部屋の中がカオスとなっていた真っ暗な我が家へ帰り着き,その足で再び職場へ戻った時点での公式発表は,M8.8。

翌日,9.0と訂正されたと記憶している。

三日三晩に亘る闇の中での生活。

寸断されたライフライン(電気は3/14,水は3/24,ガスは4/9に復旧),満たされぬ空腹感,そしてこのまま交通インフラが復旧せず,物流が滞ったままだと,最悪の場合栄養失調による餓死も有り得る・・・という暗澹たる予感・・・。

そうしたものが完全に過去のものとなって,自己の記憶の中から風化していくことに堪えられず,焦燥の念が募る・・・。

否,私など罹災していないに等しいのだから,どうこう言うこと自体がおかしいのかも知れない・・・。

大切な人を一瞬にして失ってしまった方々や,今尚不自由極まりない生活を強いられている方々のことを思うと,唯々心が痛む。

せめて,自分がやることができることを模索していくぐらいしかできないが,仕事を精一杯やるとか,被災地の経済が少しでも回るように,現地に出向くとかしてみたいものだ・・・。

特に若い頃の思い出の詰まった福島県の旧相馬郡,新地町釣師(つるし)と相馬市磯部は,何としても訪れて香華を手向けてきたいものである・・・。

・・・ということで,哀悼の意を表して一曲貼る。

交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)(A・ブルックナー 1822-96墺)

「神に捧ぐ」という意のもとに作曲され,終章が未完に終わった絶筆である(同作曲家の「テ・デウム」を演奏する場合も有るらしい)。

マーラー演奏のパイオニア的存在であったバーンスタインが,ブルックナーで唯一レパートリーとしていたのがこの最後の9番であり,最晩年にウィーンフィルと収録していたのも何かの暗示だろうか・・・。

マルカートなヴィエナティンパニを打つのが,当時の首席奏者であった名手ローラント・アルトマンであるのが,個人的には極めて有難い。

コンサートマスターは,93年夏のザルツブルグ音楽祭の最中に事故死したゲルハルト・ヘッツェル。

クラリネットの首席は,ペーター・シュミードルだろうか・・・。

運命の14時46分まで,あと1時間を切った。

厳か且つ敬虔な気持ちで,黙祷して迎えたい。

合掌・・・