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すごくどうでもいい話だとも思えれるけど、

かなり前に核と電子の法則で動き続ける原子の働きと、この世を構成する

すべてのモノ、太陽系、銀河系、更にそれらを形成する星系との類似点や、

過去、現在、未来といった三世にとらわれない、それらを超えた無始無終

の、生死不二の世界。

「死んだらどこへ行くのか」ではなく、たまたま煩悩と欲とエゴによる

この世界に生を受けたから必要以上に死を恐れる(それとて今世における

人の作りし文明の副産物とも思えるが)だけで、

本来、生前と没後とこの世との狭間に分け隔てなどはなく、すべては

はじまりもおわりもなく、生も死も存在しない、すべては永遠に継続し

続ける、

といった、哲学とも、宗教ともとれる様な書き込みをした気がするけど、

あの時、僕は「死後、自分を裁くのは自分自身の倫理によってである」と

解釈したのね。社会的地位や肩書き、権力、力関係や財力、美貌、ルックス

等この世の我欲のすべての存在せぬ世界において、神仏やサタン、閻魔など

と同等かそれ以上におそろしいものとは、自分自身の平常な精神や倫理観と

いったものではないか。

そういった観点から考えた場合、「閻魔大王はいない」「地獄は面白い」

「地獄でも平和に暮らせる」という所感には矛盾が生じる。なぜなら、

我欲の存在しない世界において人間とは、自分自身をごまかす事はできない

(今世では自分自身を含む愛する者や、欲や権力のゆえに「自分を否定する」

事も多い)

そもそも天国とか地獄といった観点自体、あの世での自分の生命状態が描いた

イメェジと捉えれば、いわゆる「娑婆即寂光土」もつじつまが合おう。

無論、単にイメェジだからといって甘く見てはならない、そのイメエジを

描いたのは他でもない、全ての虚飾を身にまとわぬ文字通り「まるはだか」の

自分自身なのである。

まあ、どうでもいい話だけどね?

地獄事情通 「地獄は面白い」「地獄でも平和に暮らせる」

http://www.news-postseven.com/archives/20170408_506746.html