世論と麻薬子供と社会6その14

夏休み特別企画は少年や子供たちと麻薬の関係性をテーマににしているが、親だけじゃなく大人やガキもこのシリーズは読むべきだろう。

社会の大人たちの大部分は一生に一度も麻薬と出会わない人生を送ってきた人間も多いし、それが普通だ。

では麻薬と出会ってしまった人間は異常か?環境によるところも多いので、そんな場所に行くから悪いんだよとなるが、初めから西成とか新大久保あたりに住んでいたらどうなる?子供たちは自分で環境を変えずらいのだ。それを理解してやらないと結局、差別と蔑視と嫌悪が生まれる。

子供たちに罪は本当はなかったのに。

非行少年ばかりの団地に住んでいてたまたま近所の友人が非行少年になってしまったとする。たまたまコンビニであって夜話し込んでいたら警察が来て虞犯少年として補導していかれたとしたら?

虞犯少年虞犯少年ぐはんしょうねんとは、一定の不良行状虞犯事由があって、かつ、その性格又は環境に照らして、罪を犯し又は触法行為をするおそれ虞犯性ぐはんせいがある少年少年法3条1項3号をいう。まあ、簡単に言うとまだ犯罪はしていないがしそうなガキを言うって凄い理由でしょ

まあ、仮定の話をしたらきりがないが今日は過去記事で非常に面白い記事を再UPしたい

非難しかできない社会に生きる子供達

一寸古い記事だが論理的に非常に面白かったのでアメブロの他の方のリブログさせてもらう。

この方の理論は正に現代社会の矛盾をついている。

面白いのはここだ

意志が弱いから覚醒剤に手を出す意志が強ければ覚醒剤には手を出さない

この論理はそれを導き出すものだよね。

しかし、問題はティーンエイジャー達は一回くらいなら大丈夫

ってここが問題。

この理論で行くと

覚醒剤とか麻薬を自分の意志で止められると認識してしまう点だろう

だって矛盾はないからね。そう君たちが言ってきたわけだから

まあ、明日息子の部屋を開けたら注射器が落ちていたなんてことだってありえない話じゃないよね

意志の問題なんでしょ?

さらにオレオレ詐欺で騙される人間をばかだね〜という人がオレオレ詐欺に騙される構造と基本的には同じだという

どうこの下の記事を書いた方は麻薬に手を出していない方だが、

そこまで洞察できるのには驚いた

一般人、君たちはやっぱり考えればできるじゃん俺に言われてる

今回俺は覚醒剤非難というワードでググってみたが、この方の意見には正直素面の方、つまり読者の皆さんと同じ思考回路を持っているのにも関わらず、

そういった論理的な思考ができるという事に俺はマジで皆さんをある意味信用し、ある意味軽蔑したよ。

分かってるじゃん

非難するのはバカでもメディアでも隣のおっさんでもできるだろう。

でも非難している人がもし麻薬の世界に一寸まちがって、はいったらなんて言い訳する?

当然

言い訳できないでしょ?

更に

今さら謝っても俺は許しても天下の警察はなんていうかな?

現時点、いや今日も覚せい剤が我が国には何百万トンも密輸されていている。

現時点で我が国の覚醒剤押収量は

これの100倍というのが市場流通量の計算だ。どう右肩上がりでしょう?

って事は一般人こそ明日はわが身の心配をするべきだ。

しかし、我が国の麻薬事情は法務省も認めたが人間やめますか?という偏った薬物防止啓蒙を長年やって来たとガイドラインで今さら言っているが、それはイコール

非難

するすべしか社会は持っていないという論理になる。

この方の最後のセリフを書いておくね

大事なことは、他人の言うことにまずは耳を貸してみることだ。

聞くだけ聞いてみてから、判断しても遅くはないだろう。

田代まさしを非難する人達の考えドラッグ中毒覚せい剤

田代まさしへの非難嘲笑が多い。

覚せい剤取締法違反の常連だからだ。

どうせまたやるんだろ?もう二度と出てこない方がいいんじゃない?

とか、

早く大人になりなさいよ

といった書き込みが目立つような気がする。

ここで一つ気になったことがある。

田代まさし覚せい剤に何度も手を出してしまうのは、彼の意志が弱いからとか、我慢することができない幼稚で欠陥のある人格だからだと彼らは言っている。

ということは、覚せい剤の中毒は、意志の力で我慢することができるということを言っていることになる。

大人ならばそれができるはずなのに、それができないから幼稚でダメな奴という結論になる。

だが、本当に覚せい剤の常習者は意志の力でやめることができるのだろうか。

以前のヤフーニュースで、全国の大学一年生にアンケート調査を行なったという記事があった。そのアンケートは、ドラッグについての意識調査という目的で行われた。

すると、回答者のほとんどが、一度くらいなら手を出してもかまわないと思っていることがわかった。

この調査結果が非常に深刻なものであることは誰にとっても明白だった。

なぜなら

一度手を出してしまったらもう抜け出せない

というドラッグに対して、

一度くらいなら大丈夫

と思っている大学一年生が多かったからだ。

一度手を出すと二度とやめることができない、それがドラッグだということはみんなが知っている。

ACJAPANでも何度もCMを放送している。

それなのに既にドラッグに手を出してしまってやめられない人に対しては意志が弱いと非難をする。

何か矛盾を感じないだろうか。

感情的に、とか、どっちの味方なんだ、とか、そういう問題ではない。

論理的に矛盾があるのではないのか、と言っているのだ。

いやいや、薬物に手を出すとやめられないのは本人の意志が弱いからであって、だから最初の一歩で手を出すなと言っているんだという反論は妥当だろうか。

ちょっと待ってほしい。

その反論うんぬんよりも、重大な一致点がある。

アンケート調査の回答で、一度くらいなら大丈夫とほとんどの大学生が答えているが、なぜ一度くらいなら大丈夫と考えるのか。

それは、

意志の力で我慢することができるはずだから

と思っているからに他ならない。

この考え、何かに一致しているだろう。

そう、

田代まさしを非難した人達の考えと同じなのだ。

ドラッグ中毒者を非難する人達の考えは、そのまま、ドラッグに対して抵抗意識の低い人達の考えと一致させることができるのだ。

これはつまり、田代まさしを避難する人達自身が、ドラッグの恐ろしさを軽く見ていると結論づけることができるのではないだろうか。

ドラッグの恐ろしさを軽く見ているということは、彼ら自身がドラッグ中毒者になる危険性は十分にあるということになり、むしろ注意しなければならないのは彼らの方なのかも知れない。

この状況は、振り込め詐欺の被害に遭った人達をバカだねえと言っていながら自分も被害に遭う人達に似ている。

それは、そんな詐欺の電話、自分のところにかかってきたところで騙されるはずはない、と思うからだ。

同じではないだろうか?

ここまで書いて、ドラッグをやったこともないのにドラッグについて語る資格はないという反論は来るだろうか?

だがドラッグの中毒者だった田代まさしの声にも、ドラッグ中毒者の言うことなど聞きたくもない、と言うのではないだろうか?

となると、彼らには誰の声も届かなくなってしまうことになる。

大事なことは、他人の言うことにまずは耳を貸してみることだ。

聞くだけ聞いてみてから、判断しても遅くはないだろう。

一方聞いて沙汰するな、という大河ドラマ篤姫のセリフがあった。